ラモス氏が脳梗塞から帰還するまで サッカーボールが復帰への契機に

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    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170304-00000051-dal-socc

     昨年末に脳梗塞を起こし、入院していたサッカー元日本代表MFラモス瑠偉氏が2日、都内で復帰会見を行った。2016年12月29日の朝に救急搬送され、脳梗塞が判明。入院、リハビリ、そして退院して会見を迎えるまでの63日間、魂の男はどんな日々を過ごしていたのだろうか。

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     照れくさそうに会見場に登場したラモス氏は「心配かけて済みませんでした。何よりも早くこういう元気な姿を見せたかった。この通り元気です。照れくさいな…。一曲歌おうか?」と笑った。言語障害などはなく、快活なしゃべり方は健在。だが、そこに至るまでにはさまざまな出来事があったという。

     異変の始まりは、大きないびきからだったという。「倒れる日の前の晩、珍しく早くベッドに入った。そして(12月29日の午前)7時に、けいれんを起こしてベッドから落ちた。立ち上がってベッドに戻ろうとしたけど戻れない。気持ちが悪くて妻が『救急車、呼ぼうか』って。今思えば、それが良かった。僕はあまりいびきをかかないんだけど、寝ている時、妻によれば大きないびきを3度かいていたようです。正直、覚えていないけど」。次に目が覚めた瞬間、ラモス氏は病院のベッドの上だった。

     自らの体に何が起きたのかわからないまま、自分をのぞき込む妻、娘、息子に言った。「何してんの」。ただ、その記憶もないという。自らの記憶があるのは、医師から脳梗塞であり、再発の恐れがあるということを聞いたところから。「珍しくマイナスなことしか考えなかった。私は神様を信じる人間。死ぬことは怖くないけど、家族に会えなくなることが怖かった」。クリスチャンでもある熱血漢の心は、凍り付いていた。

     多くの検査と、それに伴う観察期間となった約4週間の入院生活は、車いすから始まった。「最初の2日間は車いす。トイレに行くのも妻が付き添ってくれて。点滴のチューブがうっとうしくてね。自分もイライラしていた。それから徐々に歩行器となり、それも外れて歩くようになった。今思えば、それがリハビリの第一歩になっていたのかもね」。2月9日に60回目の誕生日を控えていたラモス氏だが、やはり体力は健在。医師も驚くほどの回復力で、1月24日でリハビリ施設への転院が薦められた。

     根っからのアスリートなんだろう。リハビリは“戦いの日々”だった。医師から「目標は?」と問われると、即答した。「走って家まで帰ること」。だが、当初は自らの体の状態にがく然としたという。左手と左足には不自由さが残っていた。「バンザイして、と言われても(左手が)上がらない。片足で立ってみてと言われても(左足では)立てない。何でできないんだ!気持ち悪くて、イライラした。『これは治らないのかな』とも思った」という。

     苦闘の日々で契機となったのは、サッカーボールだった。「気がついたことがあった。右手でやったことを左手でまねるという(リハビリの)メニューがあって、ならばサッカーボールならばどうなるかと思った」。医師の承諾を得て、サッカーボールを使ったリハビリをスタート。「最初はドリブルにしても幼稚園児ができることができなかった」というが、そこからはめきめきと回復。病室内で体幹トレーニングも始めるほどで「(現役に)復帰するつもりなのか。ゆっくりやりましょう」と医師から制されるほど、精力的にリハビリをこなし、3週間で2キロのジョギングがこなせるほど回復。2月14日、退院の日を迎えた。

     「僕はね、女に恵まれているんですよ」。こう話すラモス氏は、これまで2度の結婚をしている。11年7月に前妻の初音さんと死別。「魂から愛した女。もう結婚はしないと思った」。だがその後、現在の妻である俊子さんと出会い、15年11月に結婚。「あの時、ベッドから落ちた時、妻がいたから助かった。そのままだったら、死んでいたと思う。恵まれているんです、女に。初音ちゃんが亡くなった時、娘がいなかったらどんなひどい男になっていたか。(俊子さんとの結婚に)初音ちゃん怒るかなと思ったけど、そのまま一人でいたら、飲み歩いててもう死んでいたかもしれない。(脳梗塞で)倒れたけど、予定ではその後グアムに行く予定だった。飛行機に乗っていたら、そこで死んでましたよ。だから、あの時、ベッドから落としたのは亡くなった妻(初音さん)だったと思っている。『まだこっちにくるなよ』って」。

     奇跡的に言語障害も出ず、今では大きな運動障害もないところまで回復している。心臓を引き続き検査するため、左胸の皮膚下にはモニターが埋め込まれ、服用している薬の影響からわずかな出血にも気を配っている。「こんな規則正しい生活をしているのは生まれて初めてだよ。じっとしてられないタイプだから」と苦笑いしながらも「何でもやっていいと言われれば、現役としてサッカーをしたい」。監督としてチームを率いることも、もちろん諦めていない。

     4月1日からは、仕事復帰もする。「神様が生まれ変わるチャンスを与えてくれた。サッカーだけではなく、全国を回って諦めないことや色んなことを伝えたい。もちろんサッカーをしている子には楽しさも伝えたい。そして2020年には東京五輪がある。前回は自分が生まれたリオ(リオデジャネイロ)だった。そして次は自分が骨をうずめたい東京。こんな幸せなことない。80歳まで生きて、まだまだほえるで!特に日本代表!」。“第二の人生”も、ラモス氏らしく突っ走る。(デイリースポーツ・松落大樹)
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