立山で犬ぞり訓練 60年前の第1次南極観測隊

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    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170330-00074680-kitanihon-l16

     ことしは日本の南極観測が始まってちょうど60年。「世紀の快挙」と日本中が注目した第1次南極観測隊は出発前、立山で総合訓練を行っていた。訓練には南極で犬ぞり隊として活躍した樺太犬も参加。当時、アルバイトとして訓練に関わったタイワ精機会長高井芳樹さん(82)=上市町田島野=は、犬たちと触れ合った記憶を今も大切にしている。 (社会部次長・室利枝)

     初代観測船「宗谷」に乗り込んだ1次隊は1957年1月に南極に到着し、日本の観測拠点となる昭和基地を創設した。現地での輸送は雪上車のほか、日本から連れて行った樺太犬22頭の犬ぞりが活躍した。2次隊が悪天候で越冬を断念したことで犬たちは南極に取り残され、1年後にタロ、ジロの兄弟が奇跡的に生きていたエピソードは、映画「南極物語」でも有名だ。

     立山訓練は56年5月18~24日、犬ぞり雪上車、通信の3班に分かれて行われた。国立極地研究所(東京都)が保管する「南極観測立山訓練犬ぞり班報告」によると、犬ぞり班は他班より長く15~26日まで滞在。タロとジロの父である風連(ふうれん)のクマをはじめ、先導犬を務めたリキ、比布(ぴっぷ)のクマ、テツ、アンコ、ゴロ、モクの7頭が参加した。

     訓練所のある北海道稚内市はこの時期雪がなく、残雪のある立山に訓練場所を求めた。室堂や当時の天狗小屋、弘法小屋などを犬ぞりで往復。試作中の固形食糧やそり、引き具のテストなどを実施した。報告には「初期の目的は充分にたっせられた」と記されている。

     高井さんは当時、富山大山岳部に所属。訓練を取材する新聞記者から原稿を預かり、麓の駅まで運ぶ仕事を任された。スキーだと帰りに担いで登るのがつらいため、得意のかんじきで室堂と粟巣野の間を往復した。

     もともと犬好きで、空き時間は餌をやったり、体を拭いたり、犬たちの世話を手伝った。ある日、隊員に「誰か吹雪の夜に犬たちと野宿しないか」と声を掛けられ、手を挙げた。「南極での野宿を想定した訓練だと思う。シュラフ1枚だったが、両脇に抱えた犬が暖かかったから眠れた」と笑う。

     高井さんによると、訓練ではリーダーを選ぶため、1頭ずつ先頭を代えて走らせていた。体が大きい犬ではまとまらないのに、小柄なリキが率いると不思議とうまくいった。「人間に人徳があるように、犬にも『犬徳』があるんだな」と感心したという。

     立山訓練に参加した7頭はいずれも南極で行方不明になったか、死んだ。奇跡の生還を果たしたジロは第4次越冬中の60年に昭和基地で病死。タロは61年、第4次観測隊などで犬ぞり隊を務めた他の犬と共に帰国した。犬たちの悲劇を伝える報道に心を痛めていた高井さんは「どの犬であろうと会いたい」という一念で夜行列車に乗った。出迎えた東京港では、驚いたことに、船から降りてきた犬たちが駆け寄り、顔をなめてくれたという。「あの時のうれしさは、60年近くたった今も忘れられない」
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